弾力紙、なまこ紙、浪形紙、防衝紙、しぼりボール、波型ボール、波型紙、波状紙、コルゲーテットボール、コルゲートボール……。
これはあるものの名前を決める際に候補にあがった名前たちなのですが、皆さんは何か想像がつきましたか?
答えは……ダンボールです!
段がついているボール紙、ということで、最終的に決まった名前が『ダンボール』。「知らなかった!」という人も多いのではないでしょうか。
今回は、ダンボールの歴史を皆さんにご紹介したいと思います。
ダンボールの歴史
ダンボールの歴史・番外編
さいごに
○ダンボールの歴史
・英国の紳士がシルクハットのなかにいれる汗とり用の厚紙を発明
ダンボールの歴史が幕を開けたのは1856年のこと。
イギリスの紳士、エドワード・チャールズ・ヒーレイさんとエドワード・エリス・アレンさんはシルクハットの汗をとるための素材を探していました。
「厚紙をナミナミの形に折って、シルクハットの中に入れれば汗が乾きやすいんじゃないか?」
2人は試行錯誤して、厚紙をナミナミの形に折ってシルクハットの中に入れるということを思いつきました。
ダンボールの断面を横から見ると、オモテとウラの厚紙(ライナーと言います)にはさまれたナミナミの厚紙(中しんと呼びます)が見えますよね?
あのナミナミの厚紙の発明から、ダンボールの歴史がはじまったのです。
・クッション性が認められアメリカに渡ったナミナミの厚紙
当時は『汗とり用』として発明したナミナミの厚紙でしたが、この厚紙はクッション性もあるということがわかりました。
当時、アメリカでは壊れやすい電球をどうやって運ぶかが問題になっていたのですが、この電球を包む包装材としてナミナミの厚紙がよいのではないかと考えられました。
実際に包んでみると、たしかに安全に電球を運ぶことができました。こうして、シルクハットの中に使われてきたナミナミの厚紙は『優秀な包装材』としてアメリカで普及していったのです。
ナミナミの厚紙は日本にくるまでに現在使われているダンボールの形へと進化をとげました。
1874年にオリバー・ロング氏が、ナミナミの厚紙だけだと段が伸びてしまう、と片側にライナーを貼り合わせると、1882年には、R.H.トンプソン氏が両面にライナーを貼りはじめました。そして、1894年にはダンボールシートに溝切と断裁をほどこしたダンボール箱が製造されるようになりました。
こうして、輸送用にダンボール箱が使われ始めると、いよいよダンボール箱が日本に渡ってくるようになりました。
「この箱はすごいぞ……!!」
日本の井上貞治郎さんという人は、この箱を見た際、体に電流が流れました。
「こんな箱を日本でも作れないかな??」
そして研究を重ね、1909年ついに『機織り機を応用して、ボール紙に多くの段をつける』ということに成功します。そして、この紙を『段のついたボール紙』、略して『ダンボール』と名付けました。こうして、日本のダンボールの歴史がはじまったのです。
・1910年~1950年
軽くて丈夫。そして輸送に便利なダンボールは、第一次世界大戦(1914年〜1918年)の産業ブームや、関東大震災(1923年)後の復興の際に需要がぐんと増しました。
「木箱より強い紙箱」
ダンボールは人々からそう噂されるようになります。
当時は木材や釘などが不足していた時代でしたから、木箱を作るのにも苦労していました。しかし、ダンボールなら紙さえあればつくれます。そのため、ダンボールの需要はどんどん増えていったのです。
1915年ごろには、片面ダンボールが主でしたが、両面ダンボールが生産され始め、化粧品や衣料品、電球などの包装に使われるようになりました。
1925年には、ダンボールで作られた『ひな輸送箱』と『稚蚕飼育箱』が発売。1931年には『カニ缶詰』の包装に。1933年には陶磁器の輸出用の箱にダンボール箱が使用されるなど、ダンボール箱はどんどん人々にとって身近なものになっていきました。
しかし、ダンボールの需要が右肩あがりであがっていた最中のことです。第二次世界大戦(1939年~1945年)が勃発します。
ダンボールの会社も大空襲を受け、その生産設備のほとんどを失ってしまうのです……。
『あの焼け野原から日本は信じられない速度で復興した』
日本が戦争に負けた後、ものすごいスピードで復興したという話はとても有名ですよね。ダンボール産業も、日本の経済復興とともにすごいスピードで立ち直りました。
当時、日本の政府は木材資源の保護に取り組んでおり、1951年から歴代の内閣が「木箱からダンボールへ切り替えましょう」と呼びかけたことで、ダンボール需要は少しずつ増していくことに。
転機が訪れたのは、朝鮮戦争(1950~1953年)でした。当時、日本ではまだ輸送に木箱を使うのが主流だったのですが、アメリカが輸送するもののほとんどがダンボール箱だったのです。これを見た日本人は
「ダンボールはよいものなんだ……」と再認識しました。
こうして、日本でもダンボールがさまざまな産業で使われるようになっていきました。
1955年ごろには、乳製品、農産物、ビール、酒類、醤油など、食品が木箱ではなくダンボールで輸送されはじめました。当時は、日本人の食生活の変化により、青果物の出荷量が増えた時期だったのですが、それにともない、入れ物の木箱の需要があがり価格が高騰したので、ダンボールに目が向けられるようになったのです。
こうして爆発的にダンボールの需要はあがり、1960年にはダンボールの生産量は約9.8億m²、国民一人当たり10.4m²になりました。
人々は、ダンボールを実際に輸送に使うことで、以下の利点があることに気づきました。
・店頭や輸送中も商品の中身がアピールできる。
・木箱は空の状態でも、入れたときと大きさが変わらないけれど、ダンボール箱なら畳めば20分の1になる。
・梱包するときに釘や針金が不要
・重さが木箱の3分の1しかない。
・木箱と違い、ダンボール箱はいろいろなサイズのものを大量に作ることができる
~木箱よりも良いと認められたダンボール~
ダンボール箱が木箱に変わり、輸送の中心になった理由には『果物』が大きく関わっているといわれています。オレンジやグレープフルーツなど、かんきつ類は丈夫な皮に包まれていますよね。当時の貨物事情は今と違い、すごく手荒なものだったので、「木箱じゃないとちゃんと輸送できない」と思われていたのですが、「かんきつ類だったら大丈夫じゃないか?」と人々は思い始めました。そして、かんきつ類を試験的にダンボール箱で運び始めたのだそうです。
みかんやりんごなど、外部からの衝撃ですぐに傷んでしまうような果実は、もみ殻をいれた木箱で運ばれていたので、1960年代半ばになってもまだ木箱で輸送していたそうですよ。
たしかに、いまでも高級なリンゴは木箱に入って送られてきますね!
日本の高度経済成長期。新幹線が開通され、1964年には東京オリンピックが開催。日本の人々が元気いっぱいで仕事をし、稼いだお金でテレビや冷蔵庫など便利な家電製品を購入し始めると、ダンボール箱はあらゆる商品を運ぶためにどんどん生産されるようになりました。
ダンボールの生産量は1961年~1973年の13年間、1970年(9.4%)の1年を除いて、毎年2桁の成長を続けたといいます。
「耐水のダンボール箱が欲しい」
「真っ白なダンボール箱が欲しい」
「ダンボールの表面にプリントできない?」
そんなさまざまなユーザーのニーズにこたえる形で、ダンボールは次なる成長をとげました。
1959年から1966年にかけて、オンラインプリントができるようになり、耐水性のあるダンボール箱が開発され、白ライナーのダンボール箱が作られ……。ダンボール箱は見た目も美しく成長をとげていきます。
1970年のダンボール生産量は約48.2億m²、国民一人当たり46.1m²まで伸び、日本は欧米諸国と変わらないダンボール消費量になりました。
その後、急成長をとげていたダンボール生産量は、1973年後半に起こる第1次オイルショックにより、はじめてマイナス成長となり、さらに、1979年の第2次オイルショックにより一時期、マイナス成長となりましたが、立ち直り、1990年にはダンボール生産量、123.4億m²、国民一人当たり99.8m²となりました。
・1991年〜
1990年代以降はバブル経済の崩壊や円高、企業の海外移転などにより、ダンボールの需要は昔ほどの勢いはなくなりましたが、それでもレトルト食品、冷凍食品、宅配便など、日本人の生活の変化にぴったりと寄り添う形で新しいダンボール需要も生まれました。
一時期落ちたダンボール生産量も、2007年には139.7億m²、国民一人当たり109.3m²に増え、過去最高を記録しました。しかし、2008年9月にリーマンショックからはじまった世界同時不況の波を受け、2008年は前年比97.1%、2009年は前年比93.1%と2年連続で前年を下回りました(その後、生産量はゆるやかに回復しました)。
・2011年〜
現在、ダンボールはただ便利な包装材という見方ではなく、『地球にやさしいダンボール』という視点で注目されています。日本ではダンボールのリサイクル率95%以上。生まれて、使われ、そしてリサイクルされ、また新品として戻ってくる。地球を汚さない、資源を無駄に使わないという観点から、再度注目されているんです。
○ダンボールの歴史・番外編
~ダンボールのノリも進化しています!~
ダンボールに使われるノリ。あれも実は昔のダンボールと今のダンボールでは違うんです。
1900年代初頭……井上さんが「これをダンボールと名付けるぞ!」と言っていたあの時代のダンボール箱は、でん粉を加熱してノリにしたもの(煮たノリ)に替わって、珪酸ソーダ(水ガラス)が使用されるようになった時期でした。
しかし、アルカリステイン(湿度によって、水ガラス中のアルカリが遊離してしまい、ライナー表面に浮き出す現象)が「見栄えが悪いなあ……」と言われるようになりました。
1935年……ダンボールの生産速度があがった時代。ダンボールに使われるノリは、珪酸ソーダからでん粉接着剤に替わり始めました。 欧米では、コーンスターチが使われていましたが、日本ではグルタミン酸ソーダが調味料として生産され始めた時期だったので、でん粉業界がその副産物である小麦でん粉をダンボール業界に売り込み、小麦でん粉が使われるようになりました。その後、グルタミン酸ソーダのの製法が、小麦粉からの抽出法から醸造法へと変わっていくにつれて、小麦でん粉の生産量が少なくなり、1965年頃には日本でもコーンスターチを使うようになりました。
日本では、スタインホール法と呼ぶ方法で接着しています。この方法は、『アルカリを加えた加熱済みのでん粉と生のでん粉の混合物』を使います。熱と圧力を使って粘着させると、未乾燥状態のライナーと中しんをがっちりと接着させることができます。高速で貼り合わせても、段がはがれることなく、ダンボールを完成させることができるそうです。
この方法は、50年経ったいまでも変わらず、ほかの接着剤の追随を許さないのだそうです。50年前に考えた人がすごいですね!
○さいごに
資源ごみの日。廃品回収。リサイクル業者……。いまではあらゆる場所で『ダンボールのリサイクル』が行われています。この紙のリサイクルの歴史は実は平安時代までさかのぼると言われています。
当時、紙はものすごく貴重だったので、古紙として回収し、再生利用していたのだそうです。
いまではダンボールをリサイクルすることが当たり前となっていますが、もし、誰もリサイクルせず紙をバンバン使っていたら……。
パラレルワールドでそんな世界に行ったら、もしかしたら文房具屋さんで「ノート1冊1万円!」なんて感じになっているかもしれませんね。
これからも新品のダンボール箱を気持ちよく使っていくためにも、ダンボールを使ったら畳んで資源ゴミに出す、という習慣を続けたいものです。
そして、100年後の未来。このような記事がまた作られ、「2020年~ ダンボールはリサイクルするのが当たり前になり、いまの我々が住みやすい環境を整えてくれた」なんて書かれたら嬉しいですね!